【瑠璃を照らす光】第四章 第2.5の人生

瑠璃を照らす光

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離婚後、とにかく新しい家を探すことに苦労をした。

そりゃそうだ。
仕事もしていない。
シングルマザーで一人息子。
貯金もない。

貸す側だって貸したくない。

意地を張っていた。軽井沢に帰って実家に住めばいいだけの話だ。けど、涼介を見返したい。そのくだらない思いが、私を東京に留まらせた。

インターネットを駆使して、ようやく辿り着いたのがシングルマザー専用のシェアハウスだった。

阿佐ヶ谷に来て、最初に思ったのは、商店街の長さだった。

アーケードが続いて、続いて、まだ続く。
八百屋も、洋服屋も、昔ながらの喫茶店も、全部一本の道に並んでいる。

軽井沢とは全然違う。
でも、なんだか温かい街だと思った。

シェアハウスは、商店街から少し入ったところにある少し古い一軒家だった。

内見の日、案内してくれたのは、同じく一人息子を育てるさくらさんだ。

年もひとつしか変わらずすぐに仲良くなった。

玄関を開けると、台所が目に飛び込んできた。大きなシンク、三口のコンロ、広いダイニングテーブル。大型の冷蔵庫が二台。

——実家の台所に、そっくりだ。

まるで誰かの声が聞こえてくるような台所だった。

食器棚には大人用と子ども用の食器が混ざっていて、それだけで、この家に家族の気配がした。

ここなら、
私の居場所が見つかるかもしれない。

そう思った瞬間、体から湧き上がる何かを感じた。

入居した日の夜、さくらさんが声をかけてくれた。

「今日、みんないるから『初めまして会』やろうよ! 夜ごはん一緒にどう?」

「え、嬉しい……みんなでご飯なんて、本当にありがとうございます」

声が少し震えた。

みんなでご飯。
その言葉だけで、目頭がじんわりと熱くなる。

さくらさんと買い物に出かけた。楽しかった。

誰かと何かをすることは久しぶりだった。

シェアハウスに帰ると、ホットプレートが二台用意されていて、たこ焼きと焼きそばのいい匂いが部屋中に広がっていた。

「もう遅いよ、待ちきれなくて作り始めちゃったよ」

缶ビール二本目の三上さんが、器用にたこ焼きをくるくると回している。

「わあ、すごい」

晴斗はホットプレートを見るのが初めてだった。

じゅうじゅうと焼ける音、ほんのり焦げた香ばしい匂いに興味津々だ。

実家でも、よくホットプレートでお好み焼きを作っていた。

母が焼き、兄と私はその様子をじっと見つめる。焼き上がると父がソースとマヨネーズをかけ、取り分けてくれた。

涼介と暮らしていた頃は、服に匂いがつくのを嫌がられて、ホットプレートを使う機会はなかった。

ずっと憧れだった、幸せな家族の象徴のようなもの。

「晴斗、たこ焼き食べるよー」

「まだたべないー」

「今食べないと冷めちゃうよ? ウインナー入ってるよ?」

「たべる!」

笑いが起きた。

子どもたちは和室で汗だくになって走り回って、大人たちはビールを片手にたこ焼きをつまむ。

賑やかで、くだらなくて、温かい夜だった。

家族や仲間と囲むからこそ、あたたかい。
ホットプレートで作る料理って、なんて魅力的なのだろう。

子どもたちを寝かせてから、リビングに戻った。

さくらさん、三上さん、佐々木さん、田中さん。五人でソファや床に思い思いに座って、お酒やお茶を手に持つ。

「朝起きたら、とりあえず洗濯機を回して、学校の手紙を読んで、部屋の掃除をして……」

「そうそう、日曜も診察してくれる歯医者で自分の治療して、買い出し行って、常備菜つくって……」

「そうそう、まじで休みなんて一瞬で終わるよね」

「役所関係の手続きは平日なわけでしょ? 休み取るしかないじゃん、給料減るし」

「わかるわかる」

「わかる」

うなずきながら、笑った。
くだらない話もたくさんした。
でも、おかしくて、止まらなかった。

子どもを起こさないように、声を殺して笑う。肩が揺れるくらい笑う。

気づいたら、私も話していた。

晴斗がなかなか寝ない子だった話。公園で知らない子のお母さんに謝り続けた話。

みんなが笑ってくれた。

「あるある」「わかる」「うちもそれやった」——その言葉が、こんなにも温かいとは思わなかった。

「瑠璃ちゃん、お酒飲める?」

名前で呼んでくれた。

「あまり強くはないですけど……」

「瑠璃ちゃん」——その響きが、ものすごく嬉しかった。

東京に来てからというもの、誰かに名前で呼ばれることがなかった。

「晴斗くんのママ」でしかなかった。それがいつのまにか当たり前になっていて、自分の名前を忘れかけていた気がした。

ここでは、私のことを「おまえ」なんて呼ぶ人もいない。

私自身の名前で呼ばれる。

ようやく、社会に戻ってこられた気がした。

引っ越してから数週間後、さくらさんと子どもたちを連れて近くの神社に行った。

神明宮と呼ばれ、地域の人に長く信仰されている場所だ。

夕方、誰もいない静かな境内で、さくらさんが「ここのレースのブレスレットが可愛いんだよ」と教えてくれた。

色の種類が豊富で、運気が上がるようにご祈願もされているらしい。

直感で決めた。

この先、楽しいことだけじゃない。

きっと辛いことも、大変なこともある。だからこそ、このブレスレットをお守りにしよう。つらくなった時に見て、元気をもらえるように。

帰り道、さくらさんが言った。

「なんか、私まで嬉しいな」

「さくらさん、ありがとう。今日、大安なんだって」

「良いことがありそうだね」

空を見上げると、夕暮れの浅葱色が広がっていた。まるで、晴斗を産んだ日の空の色と同じだった。

私の、新しい人生が始まる。

晴斗の手を握ると、みるみるパワーが湧いてくる。

ぎゅっと抱きしめて「晴斗はママの宝物だよ」と言うと、晴斗はにっこり笑った。

この子の笑顔を守りたい。

「ママ、おなかすいた」

「何、食べようか?」

「ふわふわたまごのごはん」

「はいはい、好きだねぇ」

前を歩くさくらさんが、いきなり走り出した。

「よし、帰るぞ」

追いかけるように、私と晴斗も走った。

保育園の入所が決まり、仕事を始めることができた。

家の入居と同じくらい、仕事探しも苦労した。

日曜日と祝日に休みが取れて、子育てに理解がある仕事を探すのは難しかった。

やっと見つけたのが、やっと見つけたのが、新宿の商業施設に入っている洋服屋だった。週四日のパート。

接客は好きだった。
お客さんの顔を見て、話して、その人に似合うものを一緒に探す。

それだけのことが、楽しかった。

好きな服に触れられることも、また嬉しかった。

帰り道、新宿から阿佐ヶ谷に帰る電車から見る景色が好きだった。

沈む夕日で真っ赤に染まる空が温かくて、守られているみたいだった。

この時間が、私だけの時間だった。

晴斗のことを考えなくていい、誰かのことを考えなくていい、ただ揺られるだけでいい。それがこんなにも贅沢だとは思わなかった。

阿佐ヶ谷駅に着くと、人の賑わいさえも嬉しくて、この街で生きているんだと胸が高鳴った。

ここは、私の街になっていた。

第1の人生は、軽井沢で生まれ育った日々。第2の人生は、涼介と歩んだ結婚生活。

ならば今は、第2と第3の間——第2・5の人生とでも呼ぼう。

終わりじゃない。
まだ途中だ。
そう思ったら、少し笑えた。

《瑠璃の記憶》



この記事を書いた人
hamum

恋愛を楽しんで欲しい!その思いでこのサイトを作りました。結婚相談所で長くライターをしていた時、たくさんの恋愛サイト、恋愛本を読みました。そしてわかったことが「恋愛は難しい」ということ。私は恋愛が苦手です。決して恋愛の先生ではありませんので一緒に恋愛を学んでいきましょう。映画やドラマ、おでかけもつぶやきます。

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